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    2012〜15年掲載

ピエール大場の官能小説「路地裏のよろめき」

ピエール大場著者プロフィール
神保町にある某会社の開発本部部長。長野県出身。かつて「神保町の種馬」と異名をとったほどのドン・ファン。女性を誘うときの最初の言葉は、「美味しいもの食べにいきましょう!デザート付きで」
『NISSAN あ、安部礼司』HP

第七十参話『虞美人草の花の蜜』

「まだこのフリーペーパーが、今よりもっと知られていない頃も、
岩波書店さんや、この街の古書店さんは、
私が取材すると、みなさん、すごく協力的にご対応いただいて……。
あるとき、尋ねたの、どうしてどこの馬の骨かわからない私の取材を
受けていただけるのかと……。そうしたらみなさん、こうおっしゃった、
あなたのためじゃない、『先生』のためだから。この『先生』って、
誰のことだか、わかる?
そう、夏目漱石先生のこと。私、感動した。
ああ、この神保町という街では、いまだに、夏目漱石先生なんだ……って。
ますます、好きになった、この街が……」

今年、創刊16周年を迎える神保町のフリーペーパー
『おさんぽ神保町』の編集長、
石川恵子は、涼川小夜子に、そう語った。

小夜子は、男に抱かれて虚しくなると、
必ず恵子の編集室を訪ねた。
恵子には、誰をも受け入れる、包容力がある。
恵子には、誰もが力を貸したくなるオーラがある。

ゆうべも、一夜の劣情に身を任せた。
くだらない男だった。
求めるだけ求めると、さっさと帰っていった。
男は、しょせん、手に入れるまでが楽しいのだろう。
口づけのときの、唇の感触を想像し、
ぬめる舌や、上あごのざらつきをイメージし、
下着の中の花蜜を脳内で味わっているときが、いちばん楽しいのだろう。

それらを貪るように手に入れれば、あとは果てるだけ。
急に目の前のご褒美が、やっかいなお荷物に見えてくる。

(どうして、私は、藤尾じゃなく、小夜子なんだろう……)
小夜子は、心で思う。
小夜子の祖父は、夏目漱石の『虞美人草』が大好きで、
小説の中に出てくる、おしとやかで従順な女性、小夜子から、
我が愛する孫にその名をつけたのだ。
でも、成人した孫が、男を翻弄し、自らも愛にもがき苦しむ
藤尾という主人公に似てしまうとは……。
草葉の陰で、祖父はどう見ているのだろうか……。

「小夜子さん、今日も綺麗ね。紫のお着物がよく似合ってる」
恵子が言った。『虞美人草』の藤尾も紫が好きだった。

恵子は、群馬県藤岡市の出身。
理髪店を営む両親のもと、育った。
理髪店には、本や漫画がたくさん置いてある。
活字が大好きになったが、町に大きな本屋さんはなかった。
東京には、本屋さんの街がある・・・それもう都市伝説のようだった。
神保町には、絶大なる憧れがあった。
そして……彼女には、
「好きなところに身を置くべき」という信条がある。

編集経験などなかった。
ただ、この街が好きで、神田すずらんまつりに参加したことから
気がつけば、『おさんぽ神保町』の編集長をやっていた。
たくさんの協力者がいる。
みんな神保町を愛し、恵子の人柄に触れ、協力を惜しまない。
そんなひとり……あるイラストレーターから
いきなり彼女に電話があった。電話の主は……。
恵子が社会人になりたての頃から大好きだった、沢野ひとしさんご本人。

恵子は思った……。
私の中に育まれたDNAの中に沢野ひとしさんがいて、
だから、それを沢野さんがキャッチしてくれたのかもしれない……。
ひとは、自分を作った何かで何かを作る……そしてそれを
必ずキャッチしてくれるひとがいるのだ。

小夜子は、思った。
(私は、いったい、何でできているのかしら……)

Estudio ILIA FLAMENCA

おさんぽ神保町

住 所
神田神保町1-23 近江屋ビル2F
小学館スクウェア分室
URL
編集部のHP

おさんぽ神保町

優しい……とにかく笑顔も話し方も、
優しい。
美しい瞳は、全てを包み込むように、
こちらを見る。
「いいんですよ、あなたはあなたのままで」
そんなふうに存在を肯定してもらっているような安心感がある。
『おさんぽ神保町』には、そんな編集長の
DNAが練り込まれている。
ぜひ、お手に取って、神保町を、
おさんぽしてください!